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 @楽しい仲間たち
 A光風会・京都支部
プロフィール
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コロッセオ闘技場(ローマー)での筆者2006年7月

 



■ 私の趣味・ライフワーク
● テニス
◆ テニスは…大体、週(1〜2回)程度やってます。
スキーの為のオフトレで20年程前から始めたのがきっかけだが、まさにミイラとりがミイラの状態で今、夢中…ハマッテます。
現役時代は職場のクラブや近くのテニススクールに通ったものです。
現在は、ドングリクラブ(山科)のテニスクラブに所属してます…このクラブは非常に楽しく、また立派な経歴を持った先輩たちや、現役の方がいて、色々な意味での勉強になります。
メンバーの特徴は、あまり技術論を言わない事、勝負に拘らない、そして、紳士的であるべし、特に難しいのは、会話が楽しいこと等の厳しい条件があります。
テニス合宿(薬大セミナーハウス)ちなみにリーダの一人H・K先生は、大変な博学で専門の「微生物学会]のHPに、京都の風物詩や隠れた歴史を色々と掲載されていて、なかなか人気が有ります。
年2回・京都薬科大学の女子部との交流戦があり、若い女の子との試合は新鮮で楽しいものです。対戦成績は前半戦は我々が制するが、後半は不利になってきています。
また、琵琶湖畔にある同大学のセミナーハウスでのテニス合宿では近江牛のすき焼きが定番になっていて、これも楽しみの一つだ。
他には滋賀県仰木の里のテニス同好会のメンバーとは兄弟クラブで何時でも交流しています。
汗をかいた後、皆で飲む「地ビール」は格別だ。
平均年齢は?(不問)しかしながら現在80才以上3名の元気なメンバーが毎週欠かさず頑張ってます。<2008年8月現在>
※ 追記・残念ながらセミナーハウスは、2008年をもって、閉鎖されました。
 
■ 京都薬科大学テニスクラブ(女子)との交流戦
● <2015年9月26日>秋期薬科大学テニス部(女子)との交流戦
 
 
◆京都薬科大学 「テニス部(女子)」との秋季交流戦を行った。
我が「どんぐりクラブ」はオール…シニアー組で、上は何と!90歳の「I・H氏」を筆頭に後期高齢者が中心…
一番の若手が62歳というメンバー編成です。それでも、一年2回の「春・秋」交流戦を気持ちよく相手して戴き…女子学生諸君には、心より感謝いたします。
戦績は、2〜3年前から当方が少し分が悪く僅差で負け越しています。
従って、今年は是非、何とかせにゃならんと思い立ち、少し若い助っ人を頼んだ…声を掛ければ、何時も来てくれる我が後輩の「M・H」君は、はるばる滋賀の瀬田から…そして今年は、秘密兵器の「T・R」氏にも依頼した。
戦況としては、前半は、我が方が少し有利かと思われたが…
後半になってから、やはり疲れと体力の所為か少しずつ負けが見え始めた。
最終的に蓋を開けてみれば…8勝9敗と又もや僅差で負けてしまった。
しかし助っ人二人のお蔭で、何とかカッコは付いたと思います。お二人には、心から感謝いたします。

そして、小生は2勝1負と善戦した〜特に1試合目は、いきなり3G先取された…
ペアー相手の「M・H 君」とゲーム中 
「こら〜あかんで、強すぎるで〜」とぼやきながらも3:1になり…次に3:2になり…遂には3:3となった。そこから私のサーブで何と4:3の逆転勝ちとなった。「相手も勝ちを意識して少し油断したな〜」とベンチで二人が…しゃべっりながらほっとした。

              ( 2015年9月28日 ブログ記事から )

 
■ 京都薬科大学テニスクラブ(女子)との秋季交流戦
 ●<2016年9月24日>

「どんぐりクラブ」は相変わらずオール…シニアー組で、上は何と!92歳の「I・H氏」を筆頭に後期高齢者が中心…今年からもう一人の92歳の「H・K」氏は流石に欠席となったが…
助っ人4人お願いして「どんぐりチーム」は10名、それに大学の先生8名と…
女子学生4〜5年生中心のメンバーで交流戦を行った。春季戦では何とか、我がチームが善戦して辛くも勝ったが。今秋は見事に9勝14敗と大きく負け越した。
相手には一人「隠し玉」があった。「T・K」ちゃんという可愛い子が無茶苦茶うまかった。
しかし勝ち負けは兎に角楽しかった。
◆ 相手のチーム…女子学生諸君には、心より感謝いたします。有難うございました。

 
■ 京都薬科大学テニスクラブ(女子)との秋季交流戦
●<2017年9月23日>
◆ 「どんぐりクラブ」のシニアー組も年々年齢が加算され、今年93歳になられた「I・H」氏を筆頭に元先生や職員の方、それに少し若い、後輩二人に助っ人をお願いした…
◆ 特記すべきは在学生2年生の御孫さんと保護者会理事が祖母関係だと聞き急遽エキジビジョンで「祖母&孫」記念すべきペアーを作り、我がチームに組み入れて貢献して頂いた。
その、お蔭もあって勝ち星1つ稼ぐことが出来た。 
◆ そんなこともあって? 今季は何とか12勝9敗と辛勝した。 
どんぐりのメンバー大人げなく大喜びだった。 学生諸君有難う御座いました!


■ 京都薬科大学テニスクラブ(女子)との春季交流戦
 ●<2018年5月19日>

◆ 「どんぐりクラブ」シニアー組も今回、参加希望者が多く13名プラスわたしが依頼した助っ人二人で15名となった。
◆ 一方、大学の方もOB・OGの方約11名で合わして24名となって対戦する学生諸君よりも少し上回った。
◆ 女子学生との対戦が人気があるのか?喜ばしいことでもあるが…
お世話する方たちにとっては大変なことでもある。
◆ 昨日迄…雨予報でやきもきしていたが、朝方から晴れだして世話方の「T君」達も一安心だったようだ、私の方へも何度か問い合わせがあったが、晴れて本当によかった。
しかし急に気温が下がり寒くなった。
◆ 会場でK氏と「今迄で、雨で中止になった事なかったな〜」といえば「本当ですね〜」
きっとこの学校は晴れ男か?晴れ女がいるのかも知れんなぁ…笑い
◆ 今年で94歳の「i・H氏」も元気に参加「何時まで出来るかわからんで?」と笑いながら…
  「止まったら あきまへんで〜勝ち負けはともかく怪我をせんようにね」とだけ言った.
◆ 薬大事務局の「T」君の計らいで今年は最多勝利賞と最優秀賞が設けられ其々に贈られた。
◆ 素晴らしい交流は良き思い出になる事でしょう

◆ 女子学生の皆さん、煩いジジ達相手にご苦労様でした!
 
 
 
 最優秀賞  最多勝利賞 
 
 
 
 参加出場者
 

                                              
■ 私の趣味・ライフワーク
● スキー&登山メモ
 
■私の若い時代は、スキーや登山へ随分出かけることができた。
 色々な山や環境の異なる所へ行くことで得た、貴重な体験は、私の心に強く残っています。
 同時に、ジャンルの違う数多くの友人達に出会えたのは、貴重な私の財産だと思います。。
(登山メモ <  gaide >のページに移動しました。) 
 
■ 私の趣味・ライフワーク
●  囲 碁
◆囲碁のキャリアは古く、しかしながら、ヘボ碁の見本のような系譜を辿っている。
京都囲碁祭り(関西棋院京都支部主催)の勝ち抜き戦で初段をもらったが、その後、クラブのリーグ戦では2段で戦っている。
今は、もっぱらパソコンの対局を楽しんでいるが…どうもこのシステムは具合が悪い、顔がみえないからか?対局者のマナーが悪く不快になってしまうケースもある。
そして、時間が取れたら、もっとしっかり勉強したいと思っています。
2007年1月12日ブログ記事から
◆今年初めての囲碁対局会に参加した。
私が、時々通っている山科区の「K碁会所」で新年碁会の特別企画としてNHKテレビ12CN
の囲碁講座でおなじみの中島美絵子女性プロ棋士との対局指導に参加したのです。
彼女は、TVで拝見した印象より、はるかに若くチャーミングな人で、色は、やはり白かった。
多面打ちは6人が先生を囲むように車座に座り順番に対局するのですが…
先生の方は、ほとんど、よどみなくポンポンと手早く打ちますが、確実に此方の方が形成の悪い
石にされてしまって、結局は、ことごとく玉砕していきます。
何かにつけてプロとアマチュアとの比較をよくされますが…
この囲碁の世界ほどアマ&プロの差を感じるのは無いと思った。
一方、スポーツの世界でも同様だと思うが、若くして、一つ事に集中して向かう修練は、やはり、
それだけ並々ならぬ力と感覚が備わるのでしょうか?
しかも、才能があれば、なおさら…
我々の言葉では、  ・そら〜チョットチャウで〜となる
新年、早々、本物に出会って良かったと思う 「へぼ碁」の見本のような私だが、今年こそは一局でも良い碁を打ちたいものだ。
中島美絵子女性プロ棋士との指導対局 2007年1/12

 
現在のライフワーク
▼絵描きになったきっかけ
◆昭和34年 地元の京都新聞社に入社 画像関係の職場に勤務する。
そして、少し嫌な言い方をすれば、俗に言う二束の草鞋というのでしょうか仕事と絵の制作発表を同時期に続け、退職後は画業に専念する。

当時、京都新聞社の社員の中には、現在、日本で活躍中の作家が大勢、居りました。中には手拭で鉢巻をして煙管(キセル)を腰に差し、半ズボンに下駄履きといった、いでたちの猛者(モサ)も居たのですが。そんな愛好者達の美術クラブに当時、人気作家の竹中三郎氏が指導に来ておられたのです、その中に加えて頂いたのがきっかけでした。先生には、特に可愛がって頂いた記憶があります。
学校では橋口幾三郎氏に日本画の指導を受けていたのですが、入社と同時にY先輩に油絵道具を戴き、いきなり公募展で受賞するなどレールが引かれたのはその頃からだった様に思います。

竹中三郎氏(1904年〜1987年)
1904年京都に生まれる、1929年東京都に移住、里見勝蔵氏に師事
※里見勝蔵氏は(フォーヴィズム・ブラマンク)派の門下生で有名。
1931年〜1935年渡仏、シャルル・ブランに学ぶ、帰国後は作家活動は元より広く後進への指導をされて京都洋画界の発展に寄与された。特にアマチュアのもつ自由な制作意識へのよき理解者としても尽力された。

竹中三郎氏とパーティー会場風景 京都市文化功労賞受賞パーティー(御夫妻)
1981年 京都市文化功労賞の受賞と喜寿祝賀会
竹中三郎先生と京都新聞美術クラブのメンバー(中のサングラスが先生)
京都画壇
一方、当時の京都は、日本画の全盛期でもあって、芸術院会員が綺羅星の如く居られました。
今から思えば贅沢にも京都画壇の大家に、気安く、新聞の掲載原稿を依頼して毎月(1日)の朝刊文化面にカラー印刷を掲載した時代でもあったのです。
社内的には美術記者で美術評論家の(故)山田龍平氏が地元の美術発展の為に貢献された経緯もあり、日本画・洋画を問わず画家との交流は日常的に身近かだったのです。
ちなみに徳岡神泉・小野竹喬・福田平八郎・山口華揚・池田遥屯・堂本印象・竹内栖鳳・上村笙皇・麻田辨ニ・氏といった数え切れない程の作家が在京していた頃です。
そういった環境の中で私も同様、心安く先生方の研究所やアトリエに出入りすることが出来、また、色々な話を聞かせて頂いたことは、何よりも財産です。
特に光風会に入選するようになってからは山田新一先生を始め色々な作家にお世話になりました。
京都新聞美術クラブ
京都新聞美術クラブの懐かしいメンバー
1970年頃(クラブのアトリエ)
故・坂上守男(京都新聞社前社長)
と筆者(島田薫遺作展会場)にて
◆私が、同クラブ会長を引き受け受けるようになって、グループ展「噴展」を22年間、毎年続けた。
社外の家族会員を含め約20名のメンバーが竹中三郎先生を中心に、楽しく発表していました。
しかし、人には出会いがあり、別れが必ずあるものです。
上記写真のメンバーとも悲しい別れがありました。
◆島田薫遺作展  (1997年6月17日〜22日迄、滋賀県立歴史博物館に於て開催)
メンバー島田薫氏(1926〜1996)は平成8年6月27日死去、
没後、素晴らしい多くの作品を見て仲間たちと、米子夫人を中心に遺作展を開催しました。
会場は連日、多勢の入館者で、ご遺族の米子夫人に良い思い出作りが出来たと思います。
(左上の写真・左から一人目島田薫氏)
右端の林山徳一氏もその翌年になくなられたのでした。
中心の白い服の人は、今は亡き(ニ紀会で活躍された二紀委員)の泉地靖雄氏です。
※(右写真は)今は亡き(京都新聞社長)坂上守男氏に島田氏の作品説明をしている所。

● 楽しい仲間・クロッキー会(ピーカーブー・クロッキークラブ)
生涯学習を目的に京都新聞社文化センターを始め、その他、色々な所でボランティア教室の講師を担当、(楽しく・気楽に・美しく)の三大テーマーでサークル活動を展開していますが教室での授業に止まらず、よく写生に出かけることが多いのが特徴です。
一方では、展覧会場に於いて子供達への発信として作家自から作品説明会を実施して、少し低迷している美術ファン層の拡大を図っています。ヨーロッパではすでに子供達へのヒアーリング(公聴会)として美術鑑賞のマナーを始め何時でも解説や入場が出来るシステムになっています。
クロッキー会(ピーカーブー月例の裸婦のクロッキー会)
今年で10年になります。色んなジャンルの絵描きや勉強中の人も含めて楽しくやってます。終了後はモデルさんを囲んでのビアパーティーやメンバーの誕生日会はオーナーの好意で新鮮な魚介類をだしてくれます。
 ピーカーブーの仲間達(クロッキー)
(グループ展会場にて) 2002年
● 美団連
(美術団体連合会の略)30数年前に発足した団体。
京都市美術館の設立に於ける特殊な事情と管理行政側との調整をする事を主な役割として発足したが、加盟団体数の増加や組織の変更等で現在ではあまりその機能は果たせていない。年1回の館側の説明会と団体からの要望の申し入れにとどまっている。京都を中心に公募団体20団体が現在所属している
(2年に1回名簿作成をする) 各団体の事務所が交代で担当する。