中国
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■ 中国(上海・杭州・紹興・蘇州・無錫)
〜 2002年2/23〜〜2/28 スケッチを目的にY氏と同行 〜
● 蘇州
<蘇州水路>
蘇州は水の街で網の目のようにゆったりと川が走っている。観光船がかなりのスピードで走っていて、のんびりしたイメージを持っていたが少し裏切られた感がある。
いたる所に石組みの橋がかかっていて、とても情緒はあるが、しかし・・・・・臭い!
橋を渡る度に臭さが襲い掛かる。生活用水があちこちで垂れ流し、汚水がここに集まっているのだから仕方ないのかも・・・・其の点、日本の河川状況は最近、随分と改良されて来たと思う。
運河から見た風景 各住宅から直接、舟で移動出来る
蘇州風景 (F30) 油彩  2002年   著者作
● 西冷印社
西冷印社は中国著名な学術団体で、1904年に創立された。
中山公園の西に位置し、主な建築は、竹閣、柏堂で、社内に収蔵されている「三老読字忌日碑」は東漢初年のもので、浙江省では最も古い石碑である。
宝印山房では、展示だけでなく、石碑、拓本、書画、印材などの販売も行っている。

主に、中国の金石印材の保存、篆刻の研究を目的として成立した学術団体で、名前の由来は西側の西冷橋の名前から付けられた。
孤山の南側の麓にある。
中国の金石篆刻は、書道と彫刻が一体となった、中国独特の芸術文化で、中国では判子(印章)が使われ始めたのは2千年以上前の戦国時代、しかし、彫るにせよ、鋳るにせよ、全てが職人の仕事で、文人が手を染めるようになったのは元、明以後で、次第に篆刻芸術の各流派が形成されていった。

現地の人か?いや同行のY氏 西冷印社の庭
私も、ここで随分、買い物をした。篆刻用の鶏血石は結構、高かったのだが…残念ながら真贋を見極める見る目が備わってないので、果たして、どうなのか?今もって疑問だ。
ただ、一つ言えるのは此処の職人さんは大体、篆刻大学の卒業生だとの事だが、依頼した私の印は余りにも技術が高いのか?シャープ過ぎてゴム印の如く味気ないものだった。
西湖湖畔にある西冷印社 西冷印社の庭への門
● 六和塔
杭州市の南を流れる銭塘江のそばに立つ高さ60bの塔。北宋時代に銭塘江の高波を鎮めるために作った祈念塔は木とレンガを材料に八角七層ですが外から十三層に見えるのはなかなか面白い。塔内は草花、人物、鳥、虫、魚などの彫刻もある。
塔頂の灯はかつて灯台の役目を果たした。南宋の再建以来、何回も修理されたことがあったが、当時の風格が十分に伝えられている。
<六和塔>
紀元970年に建てられた、六和塔のある、杭州は二千百余年の歴史をもっている古都であり、イタリアの冒険家マルコポーロが世界で最も美しい都と絶賛したと言われている。
● 紹興
・魯迅 1881年〜1936年 (るうしゅん)日本読みでは(ろじん)
1881年浙江省紹興府に生まれた。従って、いたるところにその足跡が見られる。
文学者として、のみならず、現代中国の歴史に多大の影響をあたえたと言われている。

また紹興酒でも、有名です。
・紹興酒醸造所
紹興酒の材料はモチゴメ、コムギが主なものです。紹興酒のあの飴色はコムギの色です。
そして紹興酒のできを決める大事な要素は水です。紹興にある観湖の水が紹興酒の味の決め手になります。日本の宝酒造の研究所の分析結果によると観湖の水には21種類のアミノ酸を含んでおり、これが紹興酒の奥深い味を引き出します。紹興酒は、観湖のある紹興でしか生産できないのものなのです。

紹興酒は、醸造してまだ熱いうちに瓶に入れ蓮の葉とタケノコの皮で蓋をして寝かします(写真左)。これを加飯酒と呼びます。そしてこのようにして3年以上寝かしたものを花雕酒と呼びます。花雕酒は中辛でまろやかな味がします。長く寝かせるとまろやかさは更に増します。
18〜20年寝かしたものを老酒と呼びます。娘が生まれた時に仕込み、花嫁となる日に持たせてやる習慣があるそうです。
紹興酒醸造所は、やはり、社会主義国家である為、公社経営です。しかしながら社員は皆、中々の商売人です。日本語で上手に買わします、例えば値段の高い20年物の紹興酒には1年物を何本かサービス品を付けるとかの工夫が見られます、ふと、どこかの国のテレビショップを思い出した。

長期間の醸造酒の壷の表面はしっとりと良い香りが漂う。 出荷直前の紹興酒
● 蘭亭
王羲之(おうぎし)の縁ある場所で、王羲之は書聖と称されており、楷書・行書・草書を完成させた。
東晋の永和9年(353年)3月3日、王羲之は曲水の宴を、ここで催した。 
蘭亭の石碑 蘭亭の入口からすぐのところに鵞池がある。
「鵞」の字を王羲之が書いたところ
屋敷の裏側 流觴曲水
今の蘭亭は1548年に再建されたもので、場所も異なっている。

蘭亭曲水は、中国晋代の謝安が、会慶山の蘭亭で王義之(おうぎし)ら四十一人の文雅の友と会して、曲水に盃を流し、各自詩を作り競った。作れない時は盃を飲み干すペナルティーが与えられた。ここは紹興酒のメッカで好都合と言えよう。

● 太湖・鹿頂山・寒山寺
霧の太湖から微かに鹿頂山が見える
楓橋夜泊
(唐代詩人帳繼作)
寒山寺普明塔
(左上の写真)石碑の拓本をお土産に販売している。
専門の担当者か?この日も何枚も作っていた、右端にわずかにそれが伺える。








漢詩解説 漢詩文
寒山寺は蘇州城の西3.5km離れた楓橋鎮にあり、梁の天監年間(502〜519年)に建立された。
何度も焼かれたが再建され、現存する寺は清代末期に再建された。
● 刺繍研究所(蘇州)
手作業による刺繍は、非常に細密な仕事で、特に、静物画や中国の風景を,一本一本差し込んでいく、まさに根気との戦いだ、農村部から出稼ぎに来ている若い娘さんも多い様だ。
● シルクホール
繭の糸紡ぎは昔の日本の「野麦峠の物語」を思い浮かべる一瞬だった。
何よりも、この隣のビルでは、パリコレ流のファッションショーが派手にディスプレーされていて、同年代のモデルが競っている。
あまりにも異なる生活の格差に、この国民の人たちはどう思っているのか?を聞きたかった。
少し外れた裏町住宅 主流は輪タク
どの街でも言える事だが、観光客に見られたくない部分も有るようだ、発展途上の過程では止む終えない所か?貧富の格差を感じる下町の風景は、戦後の日本、私の少年期では当たり前の風景だった。
従って逆算すれば40〜50年程、遅れている様に見えるが、今の加速度的スピードで発展すれば結果は、日本の比じゃないと感じた。
● 上海
旅行感想記

今回の中国旅行は、今やアジアの大国へと発展し、国際的にもその影響力を発揮しようとしている、丁度、その転換期に遭遇した。 現地のガイドは皆、口を揃えて
(ー上,并且是日本)「追いつけ日本」と声高にいっていたが、今から思えばその時点で、もうすでに追いつかれていたように思われる。
ケ小平、語録の「白い猫も、黒い猫も、鼠捕る猫、皆、良い猫」との合言葉に国民が邁進している最中だったのか?物凄いエネルギーを感じた記憶があります。しかし、一方では上記の如くまだ貧しい多勢の人民が農村部から都会へと溢れ出し、限られた境遇とは違った刺激を感じている様子は、つぶさに理解出来た。
いずれにしても非常にしたたかに、しかし確実に前進している事は確かで、外交の下手な、そして、閉鎖的な何処かの国は、首の根っこまで押さえられてから慌てる姿を想像する。
少し嫌味かな…?

上海の繁華街は一見、日本と変わらない、夜には家族連れや多勢の人達で賑合って、文化大革命後の最も変革された点だと口々に言っていた。
当然、日本を始め外国の商社が参画して経済の融合と発展が急激に伸びてきた事も大きな要素だと思った。
色鮮やかな建物は異国情緒 上海の夜景

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