Art Space Masaaki / 画家 植田 昌明 <サークル>

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 @楽しい仲間たち
 A光風会・京都支部
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楽しい仲間達[9]
鹿児島・知覧・霧島 写生旅行  (2010年 2/17〜19)
◆京都新聞文化センターの仲間と6名参加

  <工程> 
  02月17日(水) 
  伊丹空港7時55分出発〜鹿児島空港 9時10分着、終日レンターカーで行動する。
  知覧武家屋敷〜特攻平和記念館〜池田湖畔「開聞岳スケッチ」〜指宿(泊)
  02月18日(木)
  指宿周辺スケッチ〜長崎鼻〜鹿児島市内観光「仙巌園・磯庭園・尚古集成間」〜
  フェリーで桜島〜霧島(泊)
  02月19日(金)
  霧島神宮〜高千穂河原〜えびの高原〜鹿児島空港18時45分発〜伊丹着19時55分解散
    谷 山 港
谷山港から見る桜島
写生する S氏・Y氏
紅一点参加の「おさきちゃん」
知覧武家屋敷庭園
◆ 江戸時代の知覧は、島津家分家の佐多氏が地頭、後に、知覧の私領地化と島津姓の使用 を許された。現在残る佐多家は第十八代島津久峯(1732〜1772)といわれている。
地区内は、石垣で屋敷は区切られ、沖縄でよく見られる石敢當「魔よけの石碑」や入り口には
屋敷内が見えないように、屏風岩、「沖縄のヒンプン」がある。
知覧の港は江戸時代、琉球貿易の拠点であったことから、武家屋敷も琉球の影響を受けているようです。
上記と2軒と他5件の庭園が「昭和56年国の重要伝統的建造物保存地区」に選定されている。
「知覧型二ツ家」と呼ばれる代表的な建築
知覧型二ツ家の説明
室内は、この家の昔から伝わる雛人形の展示や地元特産の土産等を売っている
シンプルな美しさを今に伝えている
知覧特攻平和記念館
● 私が、かねてから念願していた、鹿児島知覧の「特攻平和記念館」にようやく行くことが出来た。
何故、今頃、知覧へ? と聞かれると…私はいつも、こう答えている。
あの戦争で死んでいった多くの若者達に対して、今、我々に出来る事は何か?といえば…
それは、何もない、ただ反省と畏敬の念をもち平和の祈念と不戦の誓いをすることしかないだろう…
それも恐らく、戦争の記憶が僅かにのこっている我々が最後の年代だとすれば、少なくとも、何かを伝えていく責任があるように感じたからである。その意味から、我が心に、しっかりと焼付けて再確認したかったのです。
そして嬉しいことに同行の仲間達は、殆ど同年代で、日頃の会話からして、何となく、意思疎通があり今回の写生旅行が実現出来たのでした。
特攻平和記念館の敷地には、いろいろな展示がされている
◆ 当時のゼロ戦だが、当初は、高性能な戦闘機として世界的にも、かなり優秀だった。
しかし、終戦真近になると機材不足と或いは技術力の低下か? 急拵「ごし」えの粗製乱造が否めず、他国のもつ戦闘機の性能アップに反比例していった。
後日の記録によると機体が軽すぎる為、急降下は風圧で浮き上がり、中々突っ込めなかったと記している。少し前のベテランパイロット達は技術力でそれをカバーした。例えば海面スレスレで、敵艦の横っ腹に突っ込むのが確率が高いことを知っていた。戦艦の機銃砲は上には向けられるが下には不向きだったからだ。そして、終戦直前になるとパイロット達の飛行訓練時間が大幅に不足していたとも言われている。
出撃するゼロ戦 別れの盃
◆ 特攻の戦死者はこの知覧を含め全国で1400人と記録されている、この彼らの写真は、平然とは見られない! 熱いものが込み上げてくるのでした。
母を慕いての「遺書」 感想なんか、何も要らない、只読めば…
※ 上記掲載写真の一部は鹿児島知覧「特攻平和記念館」 H P から出典しました。
会場に一台のピアノが展示されていた。フッペルのピアノと題して下の説明パネルがあった。
 
  フッペルのピアノと特攻隊員

◆ 1945年5月(終戦8月15日)二人の特攻隊員が10キロを歩き、佐賀県 鳥栖国民学校(現鳥栖小学校)を訪れた。
応対したのは19歳、音楽教師の上野歌子先生、ドイツの名器・フッペルのピアノの係りを任されていた。上野先生は、空襲警報が鳴るたび、深夜でも学校に駆けつけ、近くの川からバケツで水を汲み上げ、貴重なピアノを火から守ってきたのである。

◆二人の少尉は、自分たちは上野音楽学校(現・芸術大)ピアノ科出身の学徒出陣兵です。明日、特攻出撃することになりましたが、学校を 出て今日まで演奏会でピアノを弾く機会がありませんでした、今日、思いきりピアノを弾いて、明日死にたい、二人だけの演奏会を開きたいのです。快く聞き入れられ、居合わせた生徒と先生を前にして、初めで、最後の演奏会が開かれたのでした。

◆二人はベートーベンのピアノソナタ第14番「月光」、「海ゆかば」などを心ゆくまで弾いた。
帰り際、二人の少尉は「この戦争はいつかは終わります。
しかし、今、自分達が死ななければ、この国を君たちに残すことはできません」といって、子供たちの頭をなで、満足の微笑みをたたえながら去って行った。

◆ 子供たちや先生は皆泣き、「海ゆかば」を共に歌い、敬礼して見送った。
翌日、二機の戦闘機が小学校の上空を旋回し、翼を振り、沖縄戦へと飛び立った。
俺は生きたい、そう願った兵が死に。死を願った兵はエンジン不調で生き残った。

◆ 1989年(平成1年)時は流れた。終戦44年後、フッペルが、いつしか、ほこりにまみれ、体育館の隅の古びたピアノに変り、廃棄処分になるとき、上野先生は、「廃棄されるくらいなら、私の手元に置きたい」と願い出て、鳥栖小学校の全校朝会で、ピアノと二人の特攻隊員の思い出を生徒たちに語った。戦後教育の中で44年間も封印されていた話を、堰を切ったように上野先生は一気に語ったのである。古びたこのフッペルピアノが、いまわの際に、上野先生を、うながしたのであろう。

◆ 1990年(平成2年) 5月27日深夜
九州朝日放送ラジオスペシャル『ピアノは知っている―あの遠い夏の日―』がオンエアされるやこの番組は各地に大きな反響を巻き起こした。この番組を聴いていた福岡、佐賀のタクシー運転手たちは涙で前方が霞み、車を止めて「よかラジオがありよるばい!」と無線で報せあい、じっと聴いていました。おかげでその1時間はタクシーがなかなかつかまらなかったと言う逸話が残っている。

◆ 1990年(平成2年)フッペルのピアノは国民の皆さんの応援で、調律・修理され「平和の願いの証し」として蘇える。

◆ 1990年(平成2年)45年後、鳥栖小の体育館で生残りの特攻兵と上野先生との再会。
 「私は生き残ってしまいました」…「よう生きとってくださいました」。迎える蘇ったフッペルのピアノ。そして、45年を経てかなでられたベートーベンのピアノソナタ第14番「月光」…

◆ 1992年(平成4年)上野歌子先生、講演の旅先宮崎で逝去。行年66歳。

◆ 1993年(平成5年)フッペルのピアノは、(鹿児島県)特攻平和記念会館のロビーに置かれる。

◆ 1995年(平成7年)よりフッペルのピアノは鳥栖駅の東、鳥栖スタジアムのすぐ隣にある「サンメッセ」(多目的施設)の一階(ふれあい広場)に置かれている。


    月光を 弾きて往きたる特攻の 思い 語るか 古きピアノよ  /上野歌子 詠

               ※   (iza-Bより転載)
撃墜され、引き上げられたボロボロの残骸は哀れをさそう、私は思わず翼を撫でていた。
富屋食堂の「鳥濱トメさん」を慕う隊員たちとの交流を、たたえた石原慎太郎氏の石碑
上記石碑 「石原慎太郎氏のメッセージ」
ドラマにもなった「ホタルの碑」左下に
燃えつきず立ち寄る家の今ありやなしや
ホタルよここで休んでください とあった。
会館のすぐ右に三角兵舎がある
低い屋根にカモフラージュされた粗末な兵舎 兵舎内部
◆私達は、もう少し長く居る予定だったが、手記や遺書それに長官からの感謝状を見ていると、気持ちが辛くなった、見学時間を早く切り上げ館をあとにした。  黙祷!
※ 上記掲載の写真の一部は鹿児島知覧「特攻平和記念館」HPから出典しました。た。
 開聞に
      別れを 告げて
          ホタル かな
昌  秋
指宿〜長崎鼻〜池田湖〜千貫平
千貫平からの開聞岳 924m
千貫平からの桜島 1118m
菜の花が満開、池田湖を挟んで開聞岳が美しい
長崎鼻は駐車場から灯台まで徒歩10分、坂道に沿って土産店が並ぶ
長崎鼻から開聞岳を見る、蘇鉄が面白い
千巌園「磯庭園」
千巌園「磯庭園」から櫻島は生憎の曇り
御殿 庭には矢玉の痕跡が残る
「カンヒザクラ」が満開の庭園
本来、天気の良い日ならば庭園からみる桜島は絶好のシュチエーションだが・・・
尚古集成館
 
   
尚古集成館には島津家にまつわる様々な歴史文化財が展示その豊かさを感じた。
フェリーで「桜島」
鹿児島港から桜島フェリーで15分「右は桜島港」
ガスで視界悪い
車で走ると、いたるところに足湯場がある

足湯に浸かりながら、スケッチをするつわもの
紅一点の 「おさきちゃん」
何より無料なのが気分が良い運転者も疲れがとれる。
霧島温泉のホテルに向かう途中に滝に出会う
霧島神宮〜えびの高原
霧島神宮
本殿の「御祭神は 「ニニギノミコト」
寒さで写生もままならなかった
高千穂河原
「ニニギノミコト」が降臨したと伝えられている「お鉢」高千穂峰
お鉢の山頂に祀ってある、天の逆鉾のモニュメント
坂本龍馬とお竜が新婚旅行で登った際
悪戯で引き抜いたと龍馬は手紙に書き残している。
「お鉢」と呼ばれる山頂までのトレッキングは「約2時間」 鳥居をくぐって登山道に入る。
今回の旅行のコンダクターで登山家の「F氏がどうする?1時間ほどで登れまっせ」といったが…
誰も声なし、皆さん、歩くのが苦手の様子「F氏」寂しく沈黙する一幕。
えびの高原 韓国岳「からくにだけ」
昨日降った雪の韓国岳「からくにだけ」が美しい
◆今回、鹿児島に訪れたのは、絵画教室の仲間達6名とであった。2泊3日の短い旅ではあったが、非常に得るところが多かった。それにメンバーの皆さんはスケッチを真面目に随分、よく頑張った。
きっと良い作品が期待できそうだ!
谷山港から見る桜島「筆者スケッチ」
鹿児島空港
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