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イタリア寄稿 [V]
フィレンツェ・ウフィツ美術館・ヴァサーリの回廊・ピサの斜塔
ナポリ(青の洞窟)・カプリ島・ポンペイ遺跡
フィレンツェ カプリ島(青の洞窟) ナポリ(ポンペイ遺跡)
● ウフィツ美術館(フィレンツェ)
ヴァサーリの回廊(第3廊下)から川向かいへと廊下が続く
<ウフィッツィ美術館>

1559年メディチ家のコジモ一世が、当時の(画家・芸術史研究家・建築家)のジョルジョ・バザーリに建築を託した。建築予定地にはシニョリア広場からアノル川にいたる広大な土地が選ばれ、その中には聖ピエロ・スケラッジョ教会もあり、そのままウフィッツィの建物に組み込まれ今も見ることが出来る、1565年にほぼ完成する。
建物からポンテ・ベッキオの上を通りピッティ宮へと続く渡り廊下「コリドイオ・バザーリアノ」は圧巻だ。
今回、その全てを見学することが出来たのは幸運だった。ウフィッツィ美術館のなかでは▼10〜14展示室
にある「サンドロ・ポッティチェリ作」(1486年頃)ビーナスの誕生はメディチ家のカステッロ荘の為の作品で新ブラトン主義の影響をうけての連作でメランコリックな雰囲気と柔かい筆使いには感動を憶えた。
▼15展示室
レオナルド・ダ・ビンチ(初期の1470年作)受胎告知やベロッキーとレオナルドの合作キリストの洗礼、ピエロ・ディ・コシモ作「受肉」等が所狭しと並べられている。
▼18展示室
中央には八角テーブル(ヤコポ・リゴッツィ作)が置かれている部屋も八角形の壁面で動物模様とモザイクがほどこしてある。彫刻はアポリーノ(ギリシャ時代前4世紀末)やマルシアの皮はぎ職人(ペルガモン工房作)などはその技術の高さを物語っている。
25展示室と34展示室の間にバザーリの通廊への入り口があり、現在17〜18世紀の作品が展示されている。
メディチ家から廊下を通って直接ミサをしていた、サンタ・フェリチカ教会への通路も最近、開かれ、祭壇のバルコニー「ロイヤルボックス席」へと続いている。

ミケランジェロ広場から見たアノル川 (ヴィッキオ橋)
ウフィツィ美術館とビッティ宮殿を結ぶ非公開のヴァサーリの回廊は第25展示室と24展示室の間に入り口があり全長1キロメートルの通路に、所狭しと世界の作家達の自画像を中心に展示してある。
アルノ川に掛かるポンテビッキオの上の小窓からはアルノ川やフィレンツェの市内風景を眺めることが出来る。 ※「この丸い小窓は君主・コジモの目と呼ばれている」
回廊の中程にはサンタ・フェリチカ教会があり直接メディチ家専用の祭壇室に通じる通路がある。回廊と呼ばれる所以「ゆえん」は、ある貴族が立ち退きを聞き入れなかったため、止むを得ず、屋敷を迂回して作られた為だ。
また、回廊の下通路商店街は昔は肉屋や鮮魚屋だったが当主がその臭いを嫌って全て宝石店や貴金属店に変えてしまった。メディチ家の持つ権威が伺い知れる。
ヴァサーリの回廊(ヴィッキオ橋)ponte dei sospiri
現在17〜18世紀の作品が主に展示され特にダビンチ・ベザーリ・アニョロ・ダッジオ、ガッディ・ヤコボ、バッサーノといった画家の自画像が(400点)やさまざまな時代の著名人の肖像画で終わる。
今回、幸運にも回廊内部に入館することが出来た。厳重な施錠を開錠し前後に管理人がサポートするが、作品の管理そのものは意外と無造作に陳列されていた。その為か照明は窓からの自然光が中心で上部陳列作品は乱反射で見難い所もあった。
(ウフィツィ美術館内部もヴァサーリの回廊の作品全て撮影禁止)
● ミケランジェロ広場
ミケランジェロ広場へと続く公園にはダビデ像のモニュメントが建てられている
モニュメント製作中 制作内部
ミケランジェロ広場から見るフィレンツェの市内
ミケランジェロ広場
ミケランジェロ広場では、ワールドカップ・サッカー(イタリア対オーストラリア戦)の当日だった。大型モニターでのテレビ観戦で応援中!
しかも、イタリアが勝ったから狂喜乱舞の若者達が車で走り回る、ピーパーピーパーとやかましい事、甚だしい、おまけに白夜ときているから始末が悪い、一晩中の安眠妨害で翌日は一日中、頭はボーッ〜そして少しむかついた。
「Wサッカーで、日本は予選落ち」…ひがみかな?
サンマルコ広場のBAR サン・ジョバンニ礼拝堂
イタリアは至るところにオープンBAR(バル)があるが此処の広場ではバンドの生演奏が楽しめる。(しかし少し割高)お客さんの顔ぶれを見て選曲していた。
● ピサの斜塔(フィレンツェ)
ドウォモ・1068年のバレルモ沖海戦を記念して建てられた。
ロマネスク様式・イスラム様式・ピザンチン様式などをミックスしたピサの絶頂期を象徴した建築物
ピサの斜塔後ろから 太陽が偶然、光背の如く神秘的に!
大聖堂
11年間の工事(日本の建築会社)で現在は18世紀ごろの傾斜角度に戻っている。
地動説で有名なガリレオ・ガリレェがこの上から卵を落としたと云われている。
ピサ斜塔の内部、微妙な傾きの為、傾いた階段は何となくバランスがとりにくい、側壁を手で支えて階段を上り下りする為、両サイドの壁はツルツルだ。
ピサの最上段から見た風景
屋上から見たピサの町 階上の鐘楼
「ピサの斜塔」の入館は20人づつ単位で約30分と区切られている。
最階上への往復は約20分、最上階からはピサの街が一望できる。
● ユーロスター(イタリア新幹線)フィレンツェ〜ナポリ
フィレンツェ駅構内
(ユーロスターでフィレンツェ〜ナポリに向かう)
ユーロスター車内部
同乗のイタリアの中年夫婦と
(奥さんはコモ湖の出身でお孫さんに会いにナポリに行くとのこと)
● カプリ島
カプリ島風景
カプリ島は断崖にへばり付くように町が建っている
船から見たカプリ島 船上でガイドの娘さんと
● 青の洞窟
青の洞窟へは潮の状態や天候に左右されてタイミングが必要だが今回上手く見学できた。
洞窟の中は暗くて何も見えないが海の色はブルーの発色が美しい
(光の屈折の効果か?)
カプリ島の船着場
● ナポリ
サンタルチア港(ナポリ)
王宮
ヌォーヴォ城13世紀にフランスのアンジュー家が建造、フランス風の建物、その後15世紀にアラゴン家が改築する、現在、内部に市立博物館がある。
凱旋門が見事
卵城(castel dell oso)
13世紀築ナポリ最古の城・サンタルチア港からみる姿は美しい
● ポンペイ遺跡
◆見学時は40度という猛暑、
 遮る日陰とて無く、ただ、太陽に体を晒すだけ! 日干しになる寸前だった。
 そして、出口の広場では、フレッシュなオレンジジュースを絞って売っていた〜
 ほとんどの見学者は、自動的にその屋台に並ぶ…
 何処でもみる、逞しい商魂は、まず客の足元を見ることから、始まる事を、実感したのでした。

▼西暦79年8月24日
ヴェスヴィオ火山の爆発で、ポンペイは一瞬にして死の街と化した。 ※「噴火後、僅か19時間」
ポンペイの当時、「推定人口約2万人」で、ローマーの地方都市として貿易で栄えた街だった。
18世紀半ばこの伝説の街が発掘された。42haに及ぶ古代都市の浴場・居酒屋・大劇場・市場・などもあり、改めて文化の高さを知らしめる一面でもあった。遺跡群のうち23haは後世の遺産として残すため発掘はされていないが、下記のように、調査は現在なお進行中である。

神殿(都市のシンボル)
昔の生活道路・石畳には馬車の轍の後が残っている、町のあちこちに水汲場が設置してある。
この時代に、すでに鉛管による水道配管は、その技術力を物語る。
噴火直後のままの姿で悲劇を訴えている
◆遺体の石膏像は、
噴火当時、巻き上げられた火山灰が上空で、軽石の雨となって、6メートル堆積された。
その上を、2000度のサージ(火砕流)が時速200kのスピードで覆うように包み込み人々は、熱風で呼吸器官を焼かれて窒息死したと、説明していた。
石灰に覆われて、閉じ込められた遺体は、やがて、肉体が消滅して空洞化する。発掘時、その空洞に、石膏を流し込んで、石膏像を復元した。 
また、人間、だけでなく、パン工場のラバや犬などの遺骨も多く見られた。
パンの製造工場の跡(パン粉は、石臼で、ラバを使って挽く)
◆街には、パンの工場だけで、6ヶ所あり、食生活の豊かさが解る。
貴族屋敷跡の犬のタイル絵 今も調査発掘中の現場